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マッセイ・ファーガソンの
歴史

Massey Ferguson's history

マッセイ・ファーガソン社誕生

マッセイ・ハリス社は世界における収穫機のリーダーとして第2世紀に入ろうとしている一方で、ハリー・ファーガソン社はたった15年で世界のトラクターをリードしてしまいました。

この2社の合併が1953年8月17日に発表され、マッセイ・ハリス・ファーガソン社となり、それから5年後にマッセイ・ファーガソン社となったのです。この合併は、双方の会社の製品の補完性という面から見れば当然と言えるでしょう。つまり、自走式コンバインと近代的トラクターを生んだ技術知識が、一つの組織下に集められたのです。

その後、新組織の工場は世界各国に散らばりました。アメリカに4工場、カナダに4工場、イギリスに3工場、その他、南アフリカ、ドイツ、オーストラリア、インドなど。更に合併した2社は、1959年にディーゼル・エンジンメーカーであり、7カ国に関連会社を持つイギリスのパーキンス社をその傘下に収めます。

マッセイ・ファーガソンの基本理念は、世界市場にサービスする事であり、製品をお客様に納入する事で終るのではなく、まさにそれが始まりです。部品とサービスは迅速でかつ効果的な供給こそが不可欠と考えています。マッセイ・ファーガソン社は、その後バリティー社の傘下となり、最終的に1994年にAGCOグループの一員となりました。


マッセイ社の歴史

  • 1847 –

    マッセイ社の原点

    カナダのオンタリオ湖の近くに機械いじりの好きな農夫がいました。彼は自分の農機具だけではなく、近所の人達の修理も進んで引き受けるほど機械好きでした。

    その内、修理だけでは飽き足らず農機具の発明に興味を示すようになり、1847年、農機具の修理と簡単な農機具を売るためにニューカッスルで小さい工場を始めました。これがマッセイ社であり、機械好きのその農夫こそがダニエル・マッセイなのです。

    最初は、ほんの簡単な農機具の製作から始まりましたが、1855年にハンドレーキとリーパー(麦刈取機)がヒットし、1867年のパリ祭ではドイツから20台の注文を受けるなど、事業は着々と軌道に乗り出しました。

  • 1882 –

    麦収穫機のマッセイ

    1880年、ダニエル・マッセイは既に亡くなっていましたが、事業を引き継いだ息子達によって工場をトロントに移すことになりました。広さ2.4haの新工場は当時カナダ最大でした。

    1882年、一人の人間で刈り取りと結束を同時に行える画期的な麦の収穫機(バインダー)が製品化されました。これにより、「麦収穫機のマッセイ」という名声を得るようになりました。

    その後、海外での販売も増加し、1886年にはオーストラリアに製品を出荷、翌年ロンドンに事務所をつくり、マッセイ社は名実共に世界企業へのはばたきを始めたのです。

    1878年(明治11年)カナダで作られた最初のリーパー
  • 1891 –

    マッセイ・ハリス社

    1891年、同じくしてバインダーを製作していたマッセイ社のライバル関係にあったアランソン・ハリス社と合併し、「マッセイ・ハリス社」となりました。バインダーにおいては、世界的に確固たる地位を占めるようになりました。

    1901年、マッセイ・ハリス社の技術陣は、近代の自走式普通コンバインの起源となる穀物収穫機を開発しました。牽引式でしたが(当時はまだ馬またはスチームエンジンが動力でした)、刈り取り、脱穀機構を併せ持ち、コンパクトかつ一人で作業できる革命的な機械でした。

    マッセイ・ハリス社製 バインダー
  • 1918 –

    トラクター1号機生産

    マッセイ・ハリス社は、1914年までにイギリス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ロシア等に販売会社ができ、1930年には50カ国での活動となってフランス、ドイツに製造工場が設立され、その頃にはマッセイ家の一族経営から株式会社へと脱皮しました。

    こうした世界的企業への発展の中で、1918年に今日の活動の大きな柱であるトラクター1号機が生産されています。

    また1938年には、世界で最初の自走式コンバインを開発します。これは現在でも普通型コンバインの基礎となっています。

ファーガソン社の歴史

  • 1884 –

    近代農業の生みの親

    ハリー・ファーガソンは、1884年に北アイルランドの小さな農家に生まれ、さしたる教育も受けずに16歳で自動車修理屋を始め、19歳で自分のオートバイを組み立て、28歳の時には模型飛行機を設計し組み立てて飛ばす程、若くして機械に対する非凡な才能を開花させていました。

    ハリー・ファーガソン 1893年プロトタイプトラクター
    黒塗りであったため、通称を「ブラック」として親しまれていた
  • 1920 –

    ファーガソンの革命的開発

    当時のトラクターは高価であったばかりでなく、重量もあり、取扱が危険でした。特に、危険の伴う欠点として、作業機をただ引っ張るだけで、牽引する重量のために前輪が浮き上がり、後輪を軸にトラクターが回転して、ひっくり返ってしまうこともありました。

    これに注目したハリーは、1920年に早くもハンド・リフト・リンケージを開発しました。この時から革命的ファーガソンの油圧式トラクターが始まりました。

    しかし、当時の油圧方式トラクターは完璧なものではなく、そこから13年の歳月をかけて1933年にようやく完成しました。

    ファーガソントラクターの一つの秘訣は、トラクターを支える重さを作業機自身から得た事にあります。つまり、トラクターと作業機を油圧コントロール方式のリンケージにより結び付け、前輪に作業機の重さを移動させたのです。開発されたトラクターのエンジンは16.4馬力と小型で軽いものでしたが、大型に比べても十分な性能を備えたトラクターだったのです。

  • 1936 –

    世界の標準仕様に

    こうして、1936年にイギリスで、1938年にアメリカで最初の近代的トラクターの生産が開始されることになりました。

    このファーガソン油圧方式のトラクターは、第二次世界大戦中に一時的に中断されたものの、終戦までにアメリカで約20万台近くのトラクターが生産されました。

    1946年にイギリスのコベントリーに、1948年にアメリカのデトロイトにそれぞれ工場が新設され、1951年までに約63万台以上のトラクターが生産されました。

    ハリー・ファーガソンは、トラクターと作業機の一体化を実現した最初のエンジニアでした。彼が考案した油圧式トラクターの原理は、現在のトラクターと基本的には変わっていません
    ハリー・ファーガソン 1946年~1950年代後半までTE20型トラクター:TEとは、トラクターとイングランドのそれぞれ頭文字をとったものです
    上図は1996年にマッセイ・ファーガソントラクターの起源となる名機TE20型の第1号 機が誕生してから50周年目を祝う際に用いられたものです。ハリー・ファーガソンを讃えて、ファーガソンシステム考案図も写されています

マッセイ・ファーガソン社の歴史

  • 1953 –

    マッセイ・ファーガソン社誕生

    マッセイ・ハリス社は世界における収穫機のリーダーとして第2世紀に入ろうとしている一方で、ハリー・ファーガソン社はたった15年で世界のトラクターをリードしてしまいました。

    この2社の合併が1953年8月17日に発表され、マッセイ・ハリス・ファーガソン社となり、それから5年後にマッセイ・ファーガソン社となったのです。この合併は、双方の会社の製品の補完性という面から見れば当然と言えるでしょう。つまり、自走式コンバインと近代的トラクターを生んだ技術知識が、一つの組織下に集められたのです。

    その後、新組織の工場は世界各国に散らばりました。アメリカに4工場、カナダに4工場、イギリスに3工場、その他、南アフリカ、ドイツ、オーストラリア、インドなど。更に合併した2社は、1959年にディーゼル・エンジンメーカーであり、7カ国に関連会社を持つイギリスのパーキンス社をその傘下に収めます。

    マッセイ・ファーガソンの基本理念は、世界市場にサービスする事であり、製品をお客様に納入する事で終るのではなく、まさにそれが始まりです。部品とサービスは迅速でかつ効果的な供給こそが不可欠と考えています。マッセイ・ファーガソン社は、その後バリティー社の傘下となり、最終的に1994年にAGCOグループの一員となりました。


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